Episode 01 整形外科領域

苦労されている看護師さんを助けたい。
たとえそれが、まだ世の中で前例のない挑戦であっても。

骨折の治療に不可欠なギプス。いまから70年近く前、このギプスに革新をもたらしたことから、アルケアの歴史は始まりました。医療に貢献したいという熱い想いをもった創業者の鈴木重夫が、創意工夫して生み出した「スピードギプス」と、そこに込められた志が、アルケアのすべての原点です。

ギプスの製作は看護師さんにとって
重労働だった。
そこから解放できないか。

日本が戦後の混乱を乗り越え、急速な復興を遂げた1950年代。医療の技術も進歩しつつあったものの、病院の現場ではまだまだたくさんの課題を抱えていました。そのひとつが、骨折の治療。骨折治療は、折れた骨をもとの位置に戻し、ギプスで固定して癒合させるのが基本です。ギプスは包帯を石膏で固めたものが使われていましたが、これを用意するのに看護師の方々はたいへんな苦労をされていました。

というのも、当時のギプスはすべて手作りで、看護師さんが一つひとつ、布製の包帯に石膏を刷り込んでつくり上げていたのです。ギプスの製作は非常に手間がかかり、ときには何時間も要することも。アルケアの創業者である鈴木重夫は、そんな現場を目の当たりにして奮い立ちました。

「この重労働から看護師さんを解放できないか。石膏を包帯にあらかじめ塗布しておけば、水に濡らすだけで容易にギプスがつくれるはず。すぐにギプスが提供できれば、骨折した患者さんにも貢献できる。」

そんな志を掲げて、鈴木は前例のない研究開発に取りかかったのです。

ノウハウは何もない。
創意と工夫をひたすら発揮して、
ついに開発に成功。

看護師さんの負担を大きく軽減する石膏ギプス包帯をつくりたい。そんな想いで開発に着手した鈴木重夫ですが、石膏の配合に関するノウハウも、製造方法に関するノウハウもなく、まったくの手探りでのスタートでした。鈴木重夫はひたすら実験と検証を行い、創意工夫を発揮しながら何度も試作を重ねて、1953年、ついに国産初の石膏ギプス包帯「スピードギプス」の開発に成功。そしてこの成果をもとに、アルケアの前身となる東京衛材研究所を創業したのです。

スピードギプスは医療の現場で大きな評判を呼び、さらに1956年、第一次南極観測船「宗谷」とともに南極に向かい、観測隊員の不慮の事故に備える医療材料として採用されたことで、その品質が広く認められることとなりました。また同時期には、それまで人手に頼っていたスピードギプスの生産を、格段にアップさせる製造機械も社内で開発。量産体制を実現し、より多くの看護師の方々にスピードギプスを提供できるようになったのです。

自社開発した「スピードギプス塗布製造機」

「スピードギプス」

「親切な製品をつくる事」。
その創業の志は、
現在まで脈々と受け継がれている。

アルケアが開発したスピードギプスは、骨折治療に大きなイノベーションをもたらしました。発売後も、「看護師の方々がもっと使いやすくするためにはどうすればいいだろう?」と絶えず考え抜き、たゆまない努力と探求心でスピードギプスを進化させてきました。そして最初の商品発売から20年経った1972年には、現在までベストセラーを続ける「プラスランギプス」という商品シリーズを発表。以降、医療の現場における石膏ギプス包帯のスタンダードになっています。

鈴木重夫はアルケアの創業にあたって、「親切な製品をつくる事」という言葉を残しています。時代が変わっても、この言葉は創業の志として大切に受け継がれています。「親切な製品」とは、医療関係者の方々、そして患者さんが抱えている悩みを解決できる商品のこと。それをつくり出すことで得られる喜びや感動が、今もアルケアの変わらぬ原動力なのです。

創業当時から受け継がれている社憲