入院生活:階段の昇り降りやラジオ体操で体力を回復
私は30代前半から職場の仲間と一緒にバドミントンを始め、体育館を借りて活動していました。テニスとの出会いは、40歳くらいのときです。散歩中に60歳代くらいのご夫婦が楽しそうにラリーしているのを見て「これだ!」と思い、テニス教室に通うことにしました。当時は1回90分のレッスンでは物足りず、若いスクール生と一緒に時間を延長して練習に励むほどでした。さらにテニス仲間と月1回は食事会やカラオケ、春は花見、夏はバーベキュー、秋は合宿、冬は鍋を囲んでの親睦会と、年間を通してのイベントも大いに楽しんでいました。
そんな時、血便が出て近くの病院に行きましたが、専門的な検査が必要ということで、大学病院で精密検査を受けました。その結果、直腸がんとわかり、抗がん剤や放射線治療を受けることになりました。しかし、十分な効果が得られず、やむなく7時間に及ぶ直腸切断術を受け、S状結腸にストーマを造設しました。
術後は1週間のベッド生活で足・膝・腰が弱ってしまい、社会復帰して仕事や日常生活、大好きなテニスがまたできるようになるのか、とても不安でした。まずは少しずつ体力を回復させるため、点滴を付けたまま、歩行器に頼りながらトイレや売店へ行くようにしました。最初はゆっくりした歩き方でしたが、やがて歩行器なしで歩けるようになると、次は13階建ての病棟の地下1階から屋上までの階段の昇り降りを毎朝・夕に行いました。また、屋上では病院近くを流れる大きな川を見下ろしながら、朝6時30分からのラジオ体操を退院まで続けました。おかげで5カ月ほどのブランクがあったものの、仕事もテニスも比較的スムーズに復帰できました。
私とテニス:5つのテニスクラブで週4~5回の活動を楽しむ
数年前まではバドミントンとテニスを両立していましたが、現在はテニス1本です。自分で作った愛好会をはじめ、全部で5つのテニスクラブに顔を出していますが、私がオストメイトであると知っている人は5人だけ。その中には、最初に地元の病院でお世話になった先生もいます。病気を見つけてくれた恩人ですね。私と同世代で、私の体のことをよく知っていてくれるので安心です。先生も私の回復力には驚かれています。他の仲間に話さないのは、手加減してほしくないからです(笑)。
私は体力が落ちないように、規則正しい生活をするよう心がけています。現在日課にしている運動メニューは、次の通りです。
①早朝ウォーキング(約1時間半・雨天を除く)
②ラジオ体操第一・第二(約10分間)
③ストレッチ、スクワットなど(約10分間)
テニスは体調を考慮して、また家の用事などもあるため、週4~5回。運動時には通常のブリーフの上に、海水パンツのようなほど良い締め付け感のある下着をつけています。
普段、食事は好きなものを食べていますが、運動をする前の食事は軽めにし、下痢をしないよう牛乳やヨーグルトは控えています。また、利尿作用のあるコーヒーなどは飲まず、運動中の水分補給は短時間で大量に飲まず、こまめにとるようにしています。テニスは待ち時間があるので、約90分ごとにトイレタイムをとっています。
さいごに:「継続は力なり」運動を日課のひとつに
大切なのは、どんな運動でも良いので、やってみたいなと興味を持ったことを長く続けることです。「継続は力なり」と言いますが、私は日課の1つになるように努めています。体力には個人差があるので、健康第一で無理をしないことが大切です。私は日の出とともに活動していますが、夏などは昼寝をして体力の回復をはかっています。また、定期検診はきちんと受けて、結果をいただいたらデータを一覧できるようにして自己管理しています。
人は皆それぞれに悩み事や心配事があります。それでもくじけずに前進するか、後退してしまうかは本人次第。私の場合、ストーマを造設したときはまだ40代半ばで、子どもが小学生と中学生で家のローンもあり、仕事も早く復帰しなければという思いがあったので頑張ることができました。
「歳を重ねただけでは人は老いない。理想を失うときに初めて老いる」とサミュエル・ウルマンの詩の一節にあるように、これからも理想を失わずに人生を楽しんでいきたいです。
(発行:2022年3月)